愛の賛歌

愛の賛歌

なぜシスターに02

「たとい人と天使のことばを話しても、愛がなければ鳴るドラのよう。また預言する力を持ち、すべての知識に通じていても、山を移すほどの深い信仰を持っていても、愛がなければ無に等しい…」

テレビドラマのワンシーンで朗読されたこのみことばとの出合いは、努力優先主義に隠された傲慢な価値観の中で生きていた私の人生を、大きく揺さぶる出来事となった。このことばはいったいどこに書かれているのだろう?努力することがいけないと言っている訳ではないだろうが、これがなければすべてが空しいものとなる、その「愛」とは…?放送終了後すぐにテレビ局に電話をした。

電話に出たスタッフが教えて下さったこの「愛の賛歌」が、私が初めて聖書にふれるきっかけとなったみことばである。友人に教えてもらった書店に出向き、その日のうちに聖書を手にした私は、すぐ隣に教会があることを教えられ、その足で広島幟町教会の門を叩いた。早副神父様の聖書講座に参加するうちに神のことばが私の深い部分の渇きを癒し、魂が充たされていくのを感じた。

これほどまでに人に生きる力を湧き起こす「いのちのことば」を語れる人になりたい…、この時秘かにそう思った。1987年、ご復活祭に受洗。1992年9月、神父様に紹介されて見学に来たベタニア修道女会で2日間を過ごし、庶民的な笑顔が集う温かい共同体と、奉献生活に人生を賭ける生き方を知った。1993年3月19日、ベタニア修道女会の入会を許された。

修練を終えたのち派遣された使徒職の場で、さまざまな悩み・苦しみを抱えた人々に出会う。神不在の価値観がいかに不毛であるか、そして、人の価値は比較ではないこと、存在そのものが神に愛されていること、いともたやすく移り変わるこの世の価値観に振り回されて一喜一憂する生き方ではなく、変わることのない本物の価値があり、そこに真の幸せがあること…これらのメッセージを1人でも多くの人に伝えたい。私を根底から創り替え、内なる力が漲るのを感じたあのみことばを…。

使徒的活動の場でも毎日があっという間に過ぎていく。微笑ましいエピソードや楽しい出来事もたくさんあるが、小さなハプニングに事欠かない。突発的な調整などなど…あちこちでいつも何かが起きている。誠心誠意すばやく対応することにしているが、それでも、あわやこれまで!?と思う時がある。その一つひとつを乗り越えることができたのも、祈りと分かち合いのある共同体に支えられたからである。共に主を呼び求め、また、祈りの中でその解決のヒントをいただいてきた体験から、苦境の時に私を支える言葉が生まれた。…最後まで決して「あきらめない!」。最近もうひとつの「愛の賛歌」にしたい、すばらしい詩に偶然出会った。いつになったらこのようになれるのか分からないが「あきらめない」で、これに憧れ続けていきたいと思っている。…優しく情け深くありなさい  あなたのところへ来た人が
みんな必ず  もっと元気に  もっと幸せになって帰るように…

シスターエディット