20年目の夏
平成24年を私は思い入れ深く迎えた。20年前の平成4年、その年の「主の公現」の祭日、1月5日が入会日だった。「あなたの年齢で、しかも健康も万全じゃなく、ないない尽くしで、シスターになるのは難しいですよ」。親友が紹介してくれたA神父様の率直で隠し事のない言葉は明快であった。「はい」と応えた私に、A神父様は笑いながら、「まあ、あなたの体力とお金が続くまで、受け入れてくれる修道会を訪ね回りましょうか。そこまですれば諦めもつくでしょう」と提案してくださった。
そんないきさつのある私を志願者として受け入れたベタニア修道女会をA神父様は、「勇気あるねえ。先鞭をつけたね」と仰言った。私には、福音書にある、イエスに病友を癒して欲しくて苦肉の策、屋根をはがして寝床ごと吊りおろした人達の話が身につまされる。そんな人達に囲まれてきた実感があるから。信仰深い、愛深い人達のお陰で今の私はある。それは深い闇の中にあった私に、思いをはるかに越える神さまの愛に気づかせるものだった。
疑問の全てが解かれたわけではなかったけれど、それを上まわる神さまの愛に脱帽した私に、一つの願いが生まれた。「神さまの愛を証したい」。そして、見つけた。そのあり方、その生き方だけで、神さまの愛に信頼を置いて生きる姿勢が見える修道生活を。修道会の忍耐と寛容のお陰で、2年間の修練期、あの「初誓願宣立許可書」の文字を封筒の上書きに見つけた時の喜びと感動、そして終生誓願宣立。
さまざまな思いの中で、入会20年目の私にあるのは、「神はその独り子をお与えになるほど世を愛された」(ヨハネ3・16)、そのゆるぎない愛に依り頼むこと。そして「私を愛する人は私の言葉を守る。私の父はその人を愛され、父と私とはその人の所に行き、一緒に住む」(ヨハネ14・23)という素晴らしい約束に希望を置いて、姉妹達と共に齢を重ね、何があろうとも、創立者フロジャク神様がそうであったように、神さまの愛を信じて生き、生かされる幸いを体現する者に成長していく望みを抱いている。
シスターバジリア