神様はもっとも貧しい者を使われる
「神様は一番貧しい者を使われるって本当だったね」感慨深く言う母のこの言葉が私の脳裏から離れません。それは入会前、まだミサ典書を手にしてミサにあずかっていたとき「天地の主である父、わたしはあなたをほめたたえます。あなたは、これらのことを知恵ある人や賢い人には覆い隠し、小さい者に現わしてくださいました。そうです。父よ、これはあなたのみ心でした。」という聖書の箇所に触れて、小ささゆえに私を呼んでくださっている神様のみ声と思ったことと重なる言葉だったからです。振り返ってみると私が修道生活を意識したのは、ルルドの聖母ご出現100年祭の時の聖ベルナデッタの劇をした小学校3年生の時です。修道服姿で壇上に並ぶ少女たちを見て、お父さんたちが「おお!小さなカルメリットたち」と言って喜んでいる顔を忘れることができません。しかし、体が弱く学校も休みがちだった私が、修道院に入れるとは周りの人は考えられないことだったようです。それでもコングレガシオマリアナ(CLCの前身)、青年姉妹会の活動に関わりながら気持ちはだんだん固まってきました。そんなある日、教会の図書室の整理をしていて「女子修道会案内」の本を見つけました。最初から最後まで読みましたが、心に残ったのは「ベルナデッタ会」の創立者フロジャク神父様の「相手の立場に立って」弱い人貧しい人のために奉仕する姿でした。青年姉妹会のモットーが「常に相手の立場に立つ」ということでしたから、共感できたのだと思います。そして、見学に来てシスター方と出会って、ここに呼ばれていると確信しました。その時出会ったシスター方の素朴な温かさを、今でも忘れることができません。修道生活を重ねて来て、私に、あのシスター方のような温かさがあるだろうかと、ベタニアのシスターの基準として見直すことがあります。
終生誓願の準備の黙想の時に、神父様のことばを通して「無条件で私のところに来て、私と一緒に働きませんか」と呼ばれた主に「はい」と応えた時から、貧しい私をご自由にお使いくださいという思いは、今も変わることがありません。どんな立場にいても神様からいただいた使命を精いっぱい生きるという心の姿勢を、これからも大切にしていきたいと思います。どんなときも支えとなっていた言葉は、初聖体の時にいただいたカードに書いてあった「忍耐あらばすべてを得ん、天主様の良い子になりましょう」と、高校の校訓「己に徹して人のために生きよう」です。今回自分の召命物語を書くことによって、私を生かしてきたキーワードが「貧しさ」であると確認できたことは大きな恵みでした。
Sr.マリアベルナデッタ