召命

召命

鳩と薔薇

小学校5年生の時ラジオで「井深八重さんの生涯」を聴き、大変感銘を受けたことは、召し出しの出発点のように思います。カトリックの高校に入学し「公教要理」を手にした時、問答形式の小冊子に心が惹かれ、勉強を始め「受洗」の恵みをいただくことが出来ました。バルバロ訳の新約聖書が出版された頃で、毎夜楽しみに読み続け、修道生活への思いが強くなりましたが「洗礼」も反対された中で、家族の理解を得るのは難しい問題でした。洗礼を受けるために親の承諾が必要で、母が何とか洗礼を承諾してくれましたが日曜日のミサ、教会活動、年間行事の手伝い等、朝早く外出する中でご近所の方々は、家事手伝いをする姉や弟は「働き者」の評判でしたが、わたしは「出歩いてばかり」の印象だったようです。
 修道生活を望む中で、卒業後上京し(家から修道院に入るのは不可能)勉学のため家を離れました。修道会経営の寮生活は楽しく、出会った多くの友人がそれぞれ修道会に入会しましたし、ミサ、祈り、聖体礼拝に参加し、皆と語り合った懐かしく熱心な時代…恵みの時を思いだします。私は観想生活への望みが増し、カルメル会へ友人とご聖体訪問に通いました。イタリア人の院長様の勧めで「神の現存の体験」と「新約聖書」を使っての八日間の黙想に参加させていただき、それは恵みの体験となり、その後の生活の支えとなっています。母に修行のために「カルメルに手伝いに行きたい」と手紙を出しましたら「大反対」の返事で、親戚中を廻って私のことを話したが誰も賛成せず、母が反対するのは当然と皆が答えた内容の手紙でした。また、私が修道院に入るなら母は死んだほうが良いと嘆き悲しみ、父も同じ意見と言ってきたのです。東北の旧い家で育った両親ですし、確かに「何不自由なく育てたのにどうして…」と言われ、苦しい時でした。いろいろな経過を辿りながら最終的に、家族との絆の深さに考えさせられ、反省し、時を待つことにしたのです。私の道でなければ諦めようとしたある日「声なき賛美」という小冊子に出会い、大聖グレゴリオの「観想と活動」という短い文章に触れ、私の一方的な思いに目が開かれ、神様の望みに従うことを求めるようになりました。紆余曲折した数年間でしたが、頑固な私にとって、必要な年数だったのでしょう。家族との和解のため、出来る限り両親に尽くしました。ベタニアに入会する時は、今までのことが嘘のように、両親も受け入れ「着衣式」「誓願式」だけではなく、母は修道院を何度も訪ねてくるようになりました。
「神の計らいは限りなく生涯私はその中に生きる」と讃えずにはいられません。
Sr.マルガリタ