会の霊性は、フロジャク神父の遺訓である「自ら貧しいものになる」生き方に現れています。
そしてそれは、二つの源泉から汲み取ることができます。
一つはベタニアの名に示された霊性、もう一つは修道会の保護の聖人とされた聖ベルナデッタの生き方です。
ベタニアの意味
「ベタニア」はヘブライ語で
......神の前に身をかがめ......「神により頼む貧しい者の家」
という意味があります。
「ベタニア」はイエスの親しい友、
ラザロと、マルタと、マリアの家がある村です。
イエスが、エルザレムに向かう時、また帰りにも、
好んで立ち寄り、憩われ、疲れを癒されたところです。
(新共同訳聖書より引用)
ベタニアが目指すもの
わたしたちは、貧しいゆえに神から招かれました。
自分の身を低めたとき、御父の霊がますます豊かに注がれて、生きるものとされます。
わたしたちは、ベタニアの人となるために、ここに招かれました。
ラザロ、マルタ、マリアの家のように、わたしたちにはベタニアを訪れる人々に、
安らぎをもたらすあたたかい家を作り続ける使命があります。
苦しむ人、弱い人、小さい人の中におられるイエスが憩われる家を建て続ける使命に生きること。
聖書にはもう一つの「ベタニア」が出て来ます。
徹底して人間の原点に立たれたイエスが、洗礼を受けられたヨルダン川の向こう側にある「ベタニア」です。
ヨルダン川は、世界で一番低い所を流れる川だと言われています。
そのヨルダン川の一番下まで下がらなければ、ベタニアの人にはなれないのです。
フロジャク神父のことば
ベタニア...
それはラザロとマリアとマルタの家です。
この家は多くの人のために祈りと犠牲を捧げる家。
また、人を忘れる家ではなく、
生きている人、亡くなった人をいつも思い出す家であります。
創立者は、修道会を聖ベルナデッタのご保護に委ねました。
それは、会のあるべき姿、「小ささ」を現すと同時に、マリアに対する信心と
小さな者に対する愛も含まれていたからです。
聖ベルナデッタのように、隠れて、小さく、人の目に立たないように謙遜であってほしい。
謙遜はすべての徳の土台です。(創立者のことば)
聖ベルナデッタの聖性は、その貧しさと、小ささの中にありました。
「わたしは、他の人々と全く同じ人間です。
...わたしよりもっと小さな人がいたら、マリアは、きっとその人を選ばれたでしょう。」(聖ベルナデッタのことば)
聖ベルナデッタのマリアに向かう祈り
「愛する母よ、あなたを見るその幸福を、
わたしが与えられていた時、どんなに幸せだったことでしょう。
あなたは弱い一人の子どもに現れるために、
地上にまでおくだりになられました。
あなたは世の中のもっとも弱いものを
お使いになってくださったのです。」(『ベルナデッタ』より)
聖ベルナデッタの肖像
ベルナデッタが修道会入会のとき
持ってきた傘と手さげ
(『聖ベルナデッタ』エンデルレ書店)
聖ベルナデッタがルルドの聖マリアから告げられた主な言葉は二つ。
「祈り」と「償い」でした。
これは福音に出てくる深い「回心」を意味します。
ルルドの聖マリアのメッセージが聖ベルナデッタの生涯を貫く聖性と深く結びついていました。
わたしたちは、キリストの貧しさを文字通り生き抜いた聖ベルナデッタの聖性とその生き方に倣い、ベタニアの名に示された豊かな霊性を通してキリストの福音を伝えます。