フロジャク神父様との出会いメッセージ

1955年(S30)8月、JOC全国大会に参加し上野教会に寄る。シスターゼルマナからコーヒーを頂く。主任のルドールズ神父様は優しい方でした。周りは瓦礫の山でした。小聖堂で聖体訪問し、出てきた所で「どうだね…もうなれたかね…」と言われ私は戸惑った。背の低い小柄な方、茶色の髭をなでながら。後で分かった事だがフロジャク神父様と知る。職員と間違えたのか?誘導したのかわからない。人なつっこい暖かさを感じた。
1958年(S33)8月29日、那須の山黙想会に参加、聖ヨハネの祝日に八角堂でフロジャク神父様から、シスターアデリーナの名前を戴く。お父様は優しい目で愛でる私たちを!将来を思ってか…わたしは緊張し汗していた。
1959年(S34)9月、二百十日すぎ、母が私を連れ帰ろうと上京しお父様に面会する。この年は二百十日台風の被害は大きかった。お父様は母を大変優しく培われたがその言葉も聞き入れずに「娘をかえしてほしい」と気違いのようになる。その時お父様は「これだけは、私にはどうしようもないんだよ。英子さん自身のことだからどうしようもないんだよ。本人が帰るというなら連れて帰っていいんですよ。」まだいろんな事を話されたが、この事しか覚えていない。慈父のように優しいお父様であった。10月17日着衣式当日祝電届く。田村神父様からと思ったが、両親からであった。驚きであり嬉しかった。いまと違い文通ができない時代、その祝電も式終了後でないと戴けなかったが特別に式前に見せてくださった。安心して着衣を受けるようにとの長上に配慮であった。(祝電は許しの印として長上が保管される)母とお父様との会話の中で不安の中にも安心感を戴いた大丈夫と。式後お父様に「有り難うございました」お礼申し上げますと「親というものは、そういうものだよ!そういうものだよ!ありがたいネ!感謝して一生懸命やるんだよ!」なぜかお父様の目に涙が光っていた。親の心情を思ってか、お父様の慈父の心をいっぱい感じた。
12月2日PM3時、お父様の所にお見舞いにゆく。「これで最後だからネ、皆しっかりやってください。お金を頂いたよ。貧しい人の為に働いてください。天国で私は守ってあげるから」一人一人の名前を聞く。「シスターアデリーナ、健康ということを天主様に感謝しなさい。この会は貧乏の人の為なのだから貧しくなる、謙遜になるのです。親切にしても仇で返す人がいるのだから、精神を忘れないように、天国で守ってあげるからネ、テープに吹き込んであるからよく聞くこと」声にはハリがあった、目は輝いていた。自分の子供を見るように、将来を思ってか。12月12日PM9時半最後のことば「生きるために清く生きるのではなく、死ぬために清く生きるんだよ、皆仲良くするんだよ、皆団結して」死の直前まで感謝されていたお父様、苦しみをユーモアで隠しておられたお父様、初七日お父様の夢を見る。フサフサしたお髭が揺れていた。パイプを手に持ってゆっくりと歩いてこられる。あの特徴ある目でジッと見る。一番大切なのは愛だからネ、みな仲良く親切にしなさい。ニッコリ笑ったところで目が覚めた。
出会った時から神さまの限りない恵みで導いてくださった。感謝合掌
2011.10.17. 金祝の恵みをいただく。
シスターアデリーナ